2005年02月20日

就活について考える人たち

久々に難しい話。このブログの当初を思い出すわ(  ・∀☆)意見ある人は是非巽君のページにコメントを><→http://blog.livedoor.jp/tatsu3312/

昨日ゼミ仲間の巽君が興味深い問題定義をしてますた。『何で就活はへこむのか』。む・む・難しい。これを巽君は今までは条理の世界(勉強による客観的要素)に守られてきた学生が、不条理の世界(勉強以外の主観的要素)のギャップ。今までは努力が数字に反映された。しかし、今は努力が数字にならず、努力が無駄に感じる不条理のためにへこむという考察。

でも客観的な数字で示されないというのを不条理と呼ぶなら、京大生や東大生が一番可愛そうやなー(  ・∀☆)o客観的にいけばいわゆる大企業は東大→京大→阪大・・・と割り振られていって、関西にあるよくわからん私大の関大生に回ってくる企業は・・。

と考えればある程度、巽君がいう不条理の恩恵は受けてるんじゃない??だって俺MR受けてるけど関大一番学歴低いよん。次に関学、立命、同志社がいて、公立がいて、国立がいて、理系がいて、薬系がいて、院生がいて・・・。

不条理(学歴無視)は条理(学歴)を破壊してくれる。やし前向きにいけば良いと思う。条理やったらみんないきたい企業いけない訳やし。(それこそコンビニ店長コースか・・)てか条理(勉学)やったとしたら、余計やる気なくします。勉強じゃ勝てないもん。

条理の世界で生きてきた人がいる反面、条理の世界を少し放棄してきた俺らにはその分別の強みがあって、それで結局公平なんちゃう?(福ちゃんのぱくり)。そんで就活はある意味その別の強みを拾ってくれる面白さがある。その別の強みの(感受性、行動力、論理力・・・)拾い方は企業によって違う。人が人の違う同じ要素を評価したり、評価しなかったりするように。だから縁とかいう言葉が不条理に見える。でも恋愛と一緒で努力すれば確実に付き合える訳でもなければ、数字になる訳でもない。よっぽどこっちの方が人間臭い。

ということは、本当の自分が評価されていないっていう「自分」幻想になっていくことが負のオーラスパイラルになっていくと思った。関大生は遊んでる半面、自分を条理の世界(勉学)に自分を設置してた。そういう意味では就活の方が凹むのかもしれない。本当の「自分」を否定された気分になるから。アイデンティティーの崩壊ってやつかも。個性時代の弊害や(笑)

逆に俺とぐろが無神経やったのかもしれないのー。ぐろは知らないけど、俺は最近やりがいの方が大きいの。「自分」否定の部分が少ない。そら落ちたら凹むけど、就活じゃなくても凹むから、ちっと意味合いが違うのかな??

社会的条理(学歴)を乗り越えるチャンス。不条理を謳歌してやるって感じ。まぁ要は気分の持ちようで凹み具合が変わるいうことになるかな。条理の中に自分がいると捉えたら辛い。でも条理なら関大生は負け組みです。だから俺は条理の中にいないと捉えてるから前向きなんかな??
posted by かじゅき at 16:18| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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